2007/08/24

ニューヨークって、何だろう(1)

次回作の資料集めや、関係者への手紙などかいていると、無性にニューヨークへ行きたくなってくる。自分の中の「いきたいよ、ニューヨーク」病のパターンだ。
思いかえせば、昨年の11月、撮影へ行ったのが直近の思い出。
黄色に輝くセントラルパークのイチョウの大木!キレイでした。

もとはといえば、どうせニューヨークへ行くなら、仕事を兼ねて行きたい、行った事を形で残したいという気持から映画まで作ってしまった。
そう、一時は住むことも考えたけど、なにしろ、PRビデオのディレクターと言う不安定な仕事で、3人の子どもとペット(犬と猫)を育てているから、全員でニューヨーク移住は不可能、第一、行って向うで高年齢の女性に仕事があるだろうか。物価高のNYでどんな所に住めるだろうか?
まだ、30代、40代だったら、何とかなる!と行ったかもしれませんか、やはり体力が…

で、夏休みはニューヨークの写真集(これはブロードウエーをバッテリーパークからアップタウン、ハーレムまで辿ったモノクロ写真集)をひらき、楽しんでいる。
次に行ったときは、自分も歩いてみよう。

ニューヨークというと色々見所はあるが、私が好きなのはどちらかというとダウンタウン。
ハドソン川沿いから数本中にはいったハドソン通り、 ブルックリン橋の橋げたを少し歩いた所からワールドトレードセンター駅に通じるフルトン通り。 ここは昔のよきNYの商店街が残っている感じがして好きだ。

それから、ワシントンスクエア周辺の混み入った路地。
クリストファー通りやミネッタ通りも趣がある。
なんのことはない、自分が最初に訪ねた頃、迷ってぐるぐるその界隈を歩き回った思い出があるから。

ミッドタウンだと、マレーヒル。マレーヒルはいったいどこあるのか、ぐるぐる歩いたが、エンパイアステートビルに出てしまった。いまでもどこにあるのか謎だ。
42丁目をイーストリバーに向かうと坂道にでる。チューダーシティに通じる坂で、両脇はアパートになっている。ブラウンストーンに階段、ああ、こういうアパートで暮らせたら…、どんどん妄想が広がる。 そして、ついどんな人が住んでいるのか覗きたくなる(オイ、オイ)。
ニューヨークにしては静かな一角で、坂を登りきるとフォード財団の裏庭にでる。
ちょっと行くと、眼下に国連ビルがみえる。
クリスマスに行ったときは、フォード財団のプライベートガーデンのフェンス全体が赤いリボンで飾られていてとても可愛かったな。

映画は大好きなので趣味と実益をかねてNYが舞台のものはほとんど見ている。
一番、NYのよさを知ってるな、と思った映画はウディ・アレンの「マンハッタン」
オープニング数分のモノクロ映像は、もうこれしかない、というNYのランドマークを短く、効果的につないでいる。本当に美しいよーー。
2002年のアカデミー賞受賞式では、これまでに出席した事がないウディ・アレンが登場し、NYを舞台にした映画のシーンを数分にまとめて披露したが、もちろん、このシーンが頭と終わりにでてきた。
なかでもキーポイントはブルックリンの橋で、7月4日の花火や、主人公の二人がブルックリン側から夜の摩天楼を眺めるシーンは素晴らしいの一言です。

2007/08/08

彼女たちの作品

しばらくブログを休みました、すみません。ドキュメンタリーの新作が完成し、その試写会他の準備で大忙しでした。
新作ができても最初につくったこの作品への愛着はいつまでも消えません。









心を込めて作り上げた大切な宝物です!
いまでも出演者の皆さんと仲良くお付き合いしています。
彼女たちのニューヨークでの活躍は益々広がり、
創作への情熱は益々さえわたっています。作品を紹介します。
ステンドグラスアーティスト、作山典子さんの作品です。色、厚さ、光沢の違うさまざまなガラスから、作品にあった素材を選び組み合わせる…石の彫刻出身の彼女しか作れないフォルムの美しさは彼女の作品の特長です。
ニューヨークを中心に活躍する河原その子さんの舞台は幻想的。
様々な国の役者さんたちを自在に演出して、誰にもできない東洋と西洋を融合した不思議な世界を作り出しています。 もちろん英語でです。 1日もはやく、日本で、彼女の素晴らしい舞台を紹介したい。
これは私のささやかな願いです。
いま、マンハッタンの幼稚園に通う3歳になる一人息子の、日本の幼稚園体験入学のために、東京の実家にもどっています。
かわいい息子さんの幼稚園送り迎えのあと、ニューヨークの作品のDVDをもって、演劇関係の人たちとアポイントメントを取って面会に行く。
コネも、バックもなく実力でオフブロードウエィ演出までたどり着いた彼女のバイタリティを心から応援します!
河原その子さんの舞台に興味のある方は、ぜひブログに書いたホームページをのぞいてみてください。

2007/07/03

クリスマスとカウントダウンin New York

(監督の日誌から)  
5番街のサックス・フィフス・アベニューの雪の結晶     

ニューヨークのクリスマスやカウントダウンはどんなのだろう?
テレビのニュースで毎年ロックフェラーの点灯式を見てるし、NYのクリスマスがでてくる映画もたくさんみた。が、本物を見てみたい。
1998年に初めて訪れたときは夏のまっさかりだった。
クリスマスを撮影したのはその3年後の2001年、あの同時多発テロの年だった。
NYへの旅行者が激減し、渡航費、宿代が驚くほど安いと聞いて、行くことにした。VX1000というソニーのビデオカメラ、DVテープ、友達の電話番号のメモを持って出発。JFKに到着したのが確か午後2時過ぎ。マンハッタンの宿についたのが7時ごろだっただろうか

宿が49丁目だったのでロックフェラーはすぐそこ。 空港からのバスで知り合った日本人OLとロックフェラーへツリーを見に行く約束をしたので、宿に荷物をおき、すぐ外へでた。消防車やパトカーのサイレンの音、鈴だの、訳のわからない英語、ざわざわ人ばっかりの中へ、時差ぼけでハイの気分で飛び込んだ。
実はこの到着の日、フラフラする体にムチうって、ハイの気持で町を歩くのが結構気にいっている。

日本に帰ると、一日目をとてもよく覚えているのだ。しかも、夢の中の出来事のように。 この年はすごい数の星条旗がたなびいていた。
陸軍の兵隊さん(?)も立っていた。
お土産屋さんで、「日本人はどこへ消えたのか」と聞かれた。確かに少ない。NBCのスタジオツアーに参加したが、日本人は私一人。一番遠くから来たとのことで皆で拍手してくれた。

ロックフェラーセンター前のクリスマス電飾
この時ははあまり撮影をしなかった。久しぶりのNY。地図がないと道を歩けないし、出ていただく皆さんとお会いしたり、場所を下見(ロケハン)したり…撮影前の段取りですぐ滞在期間がすぎてしまった。
マレーヒルを探して、フォード財団の坂を登り、国連本部を見下ろして、そこから探しながらエンパイアビルまで歩いたのもこのとき。いまだに、見つけられない。夜は、「シカゴ」やユニオンスクエアそばの劇場を探してDe La Guardaのビーシャビーシャを見た。

ロックフェラーセンターの木々についた小さな電気が美しかった。
スラリと暗い天に延びる白いビルとよく似合っていた。
オモチャの兵隊さんもかわいい。
サンタクロースのおじいさんや、ピエロもいた。
在住の友達に聞くと、テロの心配があるし、わざわざ見には行かないとのこと。という事は、ほとんど観光客なの?
カウントダウン
カウントダウンは、3年後の2004年の撮影のときにみた。
昼頃から警察官が何百人もタイムズスクエア近辺に集結し、打ち合わせが 始まる。
騎馬もいる。
イベントが演じられるタイムズスクエアの中心では、マシンガンをもった警官が警備していたそうだ。
同じ宿の若い人たちは昼過ぎから水分をとらないで、中心部に席を確保、カウントダウンまでいたと聞いて驚いた。(老婆心)
私がいた51丁目はのんびりしたもの。警官は腰にピストルをさげていたが、観光客の記念写真に応じたり、仲間とおしゃべりしたり。
午前0時が近づくにつれて、道路沿いのカフェが開き、タキシードやドレス姿のお客さんたちが踊りながらでてくる。警官たちも誘われるままダンスの輪に加わり、踊って抱き合って… 制服姿に弱いワタクシ、カメラを回すのを忘れてじっとみとれてしまいましたよ。
がっしりとした警察の方々は、ライアン・フィリップやジュード・ロウみたいなハンサムから、伊集院光みたいな太めの人までさまざま。共通点はみな若い! デンゼル・ワシントン似のお兄さんはもう管理職か。
カウントダウンが始まると、大きな欧米人がタイムズスクエアの掲示板をみようと動き出した。小柄なワタクシは、カメラを掲げて必死に撮影したが、とうとう踏み潰されそうに。撮影したテープをみたら、人の胸、背中、地面しかうつっていなかった!
(写真は2001年と2004年のクリスマス  2001年にはサックス・フィフス・アベニューの壁面に雪の結晶はなく、2004年に再訪した時、幻想的な美しさにびっくりした)

2007/06/22

彼女たちが暮すのはNYのどこ?

(監督の日誌から)
もともとどうしてNYで映画を作ろうと思ったか、それは…
50歳で企業の映画基金をいただいて2ケ月、NYUのテッシュ、日本で言う映画学科に短期入学したのがきっかけ。
NYUの校舎はダウンタウンのイーストビレッジとグリニッジビレッジの境。 そばにワシントンスクエアがあり、校舎の前はブロードウエー、 向かいにマクドナルド(注文しやすのでわりと利用、でもコーヒーの発音がなかなか伝わらなくて…) 、斜向かいに大きなタワーレコードがあったっけ(倒産?)。
2ケ月暮らしたのはアスタープレイスという地下鉄駅から徒歩3分ぐらいのところにあるNYUの学生寮。路上の植え込みを隔てた向かい側にセントマークスブックストア。
退屈な夜にお店にはいっては時間をつぶした。そばの ビル2階には日本食のサンライズ。「ばかうけ」や「亀田の柿の種」を買って、寮でばりばり…なんだかお煎餅がやたらと食べたかったんです。
授業は最初の一週間が座学で、残りはほとんどマンハッタンを移動して16mm映画を撮影。6,7,8月のNYの暑さはすごいですよ。 汗で地図がすぐにボロボロになった。
それにしても、生まれて初めてのアメリカ、しかもNYだ。到着した翌日から学生証につける写真を写したり、手続きのため大学とPC/コピーが使えるキンコーズの往復。 おまけにフィルム代がかかるので、なるべく食事は自炊しよう、と思い、近くのスーパーKmartへ毎日通う。なんだ、買い物袋さげちゃって、東京の生活と同じじゃない。しかも、一人暮らしをすっかり忘れて、大量の塩(それもすごくまずーい)や10k米袋くらいの袋詰めアイダホのジャガイモを買っちゃつたり!(帰国までに食べないと荷物になるからと毎日ジャがバター生活) そんな些細なことどうでもいいの。とにかく、このとき映画に出演してくださったのが、子どもを生んだばかりの恵美さんだった。
チェルシー
彼女の住いはチェルシー。15年前、演劇学校の名門HBスタジオに入るためにやって来てからずーとチェルシーに住み続ける。
治安はいいし、庶民的で、演劇関係の人が多いのが特徴。 花屋さんのベンチにゲイカップルが坐っていたり、なんか、学生街と違いのんびりしている。水戸の静かな町で育った彼女がよく、まあ、この騒々しいNYで、と思ったが、チェルシーは歴史的エリアもそばにあり、静かでとてもいい場所。人々も優しい。一人娘もいまや小学2年生になった。
アムステルダム通り
恵美さんの芝居仲間その子さんは、同時多発テロの翌年、一人息子を出産。マンハッタンで演劇と子育てはキツイだろうな…と思いつつ、どういうお母さんになっていくのか、興味がわいた。
彼女は、コロンビア大学近く、アムステルダム通りのアパートで、米人のサラリーマンの夫と暮らす。アップタウン…ダウンタウンしか知らなかったので、最初にアパートを訪ねたとき、壮麗なコロンビア大学をみて別の国へきたみたいだった。その翌年から、今度はコロンビア大学を中心に映画を作るなんて、想像もしなかった。いま思い返すと、その時みた尖塔は、リバーサイドチャーチとコロンビア大学ユニオン神学校のもの。同じ大学でもNYUとも全く雰囲気が違う。その子さんは、新しいプロジェクトの立上げ、仲間との劇団運営、頼まれるままに舞台の演出を引き受け、生活のために日系新聞でアルバイトもしている。
さらに、保育所は高額でベビージッターも高いので、どこへ行くにも子供づれ。夜の10時、子どもが寝た後だけが、大切な自分自身の時間だという。
ニュージャージー Pavonia Newport
「夕方いらして下さると、夕陽がきれいですよ」奈津美さんとはインターネットで知り合った。留学から戻ると、私はすっかりNYの虜となって、仕事、家事が手につかない。なんとか、NYで暮す方法はないものか!と毎日パソコンでNY情報を集めていた時、彼女と出あった。一年後、NYのウクライナ料理店で初めてお会いし、すっかり意気投合して出演をお願いした。奈津美さんは、念願の家賃の安い、NJにある低所得者用アパートへ入ったばかり。独身OLにとって、マンハッタンの家賃は高すぎる。部屋をシェアすると今度はプライバシーがない。NY生活でもっとも大変な事の一つはアパート探しだという。
撮影は昼になった。なにしろ、初NJである。パストレインにのるのも初めて。改修されたばかりのワールドトレードセンター駅からホーボーケン行きに乗車して、先ず眼にしたのがテロで崩壊したコンクリートと鉄骨。その脇をそろそろと地下鉄が進む。ニューポートの駅前には花壇や植え込みがあり、クリスマスには美しいツリーが、夏は開放的な青葉が風にそよぐ。彼女に連れられてハドソン川へ向うと、見えてきました!うーーん、絵のようなマンハッタン!。「あそこにワールドトレードセンターがあったんですよ、1日にして姿を消すなんて、信じられません」
ブルックリン Grand Army Plaza
駅をおりると、まず彫刻で飾られた立派な門に驚く。そのそばには広大なプロスペクト公園。公園には日本庭園やエジプト芸術で名高いブルックリン美術館がある。公園から放射状に広がる通りの一つ、President Streetに典子さんの自宅がある。古きよきNYの町並みをそのまま残すこのエリア。階段のついた3階から5階ほどのブラウンストーン住宅が続く眺めは壮観だ。ほぼ毎月、数ブロックを閉鎖して映画の撮影が行なわれているという。
アートの本場NYで35年間もこつこつと創作を続け、素敵な町にご自宅まで持つご夫婦ってどんな方たちであろう。ちょっとドキドキしながらお訪ねすると、出ていらしたのは知的で生活を大切にする楽しいご夫婦だった。率直に、時にはユーモアを交えてNYで作品が売れるまでの修行生活、毎日の創作生活を話してくださった。困難を乗り越え、強い絆で結ばれたご夫婦がいるのも、またNYの魅力である。












2007/06/17

「ニューヨークで暮らしています 彼女たちがここにいる理由(わけ)」上映会開催について

DVD/VHSの販売を開始しております 各1800円 図書館・公共施設価格3000円
日本語版、英字幕版がございます

ニューヨークで暮らしています 彼女たちがここにいる理由(わけ) 」 は(有)テス企画の自主製作作品です。特定のスポンサー、支援団体はなく、製作費は自己資金と映画貸出料、入場料などで支えられております。
ニューヨークで暮らそう! 留学したい! アートや演劇をやりたい!
そしてニューヨークが大好きな皆さん、上映会を開きませんか?ご希望の方はご連絡ください。
(有)テス企画   柴田、泉
Tel&Fax 03-5991-3486
E-Mail 
cinemajournal@mb.point.ne.jp                                                             
○映画感想アンケートより (1/14 /2006 東京ウィメンズプラザ視聴覚室
☆多くの人たちがアメリカに行きますが、その地で暮すことの大変さがよくわかりました。安易にアメリカに行こうとする若い人たちにとって、この映画はよい教科書となると思います。(女性)

☆ニューヨーク(以下NY)での暮らしは日本でのしがらみやいろいろな関係がない分、素の自分の力が試されるものか知れません…
落ち込んだときなど「他人は他人、自分は自分と言い聞かせる」というインタビューがありましたが、自分の選んだ道だから当然と言えば当然ですが、それでもやっていけるのは夢があるからでしょうね。そうでないと今の日本のように人の足を引っ張ったり、羨んだり、と卑屈になりがちです。私は東京で夢を持って生きているのですが、男と女の違いは大きいかもしれません。(男性 50代)

☆女性の仕事、子育て、生活など生き方について色々考えさせられる作品でした。私は今年大学を卒業し、4月に就職をするのですが、自分にとって本当にやりがいのある仕事を探していきたいと改めて思いました。この作品の4名の女性は、仕事にやりがいを持ち、とても輝いていましたが、この時期にこの作品と出会えてとてもよかったです。(女性 20代)

☆ずっと楽しみにしていました。大変な状況で本当に完成されるのかな…と思っていましたが、やはり低力がありましたね。元気をもらいました。(女性)

☆とても面白く、また興味深かったです。NYというとやはりキャリアウーマン的な生活を想像しますが、とても生活感のある4人の方たちでした。 (男性)

☆NYで夢に向けて努力している一方、老いた親が日本に存在しているというジレンマ…日本人女性が直面している問題が伝わってきます。(女性)

☆映画に出てくる作山先生が中学の先生のときの生徒です。映像のなかで、日展の作品がでていましたが、その時のモデルをしており、とても懐かしく拝見させていただきました。先生のNYでの活躍が活き活きと描かれているのを見ることが出来ました。(女性 30代)

☆生活が大変でも人や周りに流されない潔い生き方…それが、彼女らの共通点だと思う。日本にいても自分というもの(=自分のはっきりした主張や考え)を堅持すれば「流されない」で生きられるのではと考えます。そのためにはどこにいても「覚悟」はそれなりに要ることを映画から教えられました。自己実現のためには体力勝負ということもわかりました。(男性)

☆我が家の長女もNY(クイーンズ)に15年住んでいます。(留学したまま帰らず)3人の子どもを育てながら今も張り切って生活しているようです。自分の娘の生活とダブりました。(女性 50代 )

☆才能を持った人が才能を発揮できる国、その受け皿と、日本を去りNYへ行ったしがらみのなさがくっついたとき最大のパワーがでる。感動!

☆大雨の中、どうしよう、と思いながら参加しました。とてもよかったです。女子中高校の若い子達に見せて欲しいと思います。「夢」を持たせるためにも。(女性)

☆女性のタフさが伝わってきました。家庭をもっていても夢を追いかけ続ける姿にとっても感銘をうけました。4人の女性たちのあの自然な表情をだせるのはすごいと思いました。(女性)

☆4人の女性と自分の違いは”気力”なのだと思いました。本人に焦点を絞ったところ、本人の回りの人間関係などをことさらフォーカスしないところがすがすがしかったです。(女性)

☆ドシャブリの雨の中、今日ここで素晴らしい映画を見ることが出来ました。次回作「原口鶴子」を楽しみにしております。(女性)

☆1、とても深く内面を描いていることに感銘を受けた。2、風景と音楽が溶け合っていて素敵だった。 3、主人公の女性の皆さんが、まっすぐな輝きのある目をしていて、印象的。4、視点の鋭さが光る作品だった(女性)

順次、名古屋、横浜、大阪での上映会のアンケートを整理して公開いたします。





2007/06/03

完成披露試写会の日

2006年1月14日(土)。午後6時開場、6時30分開映 東京ウィメンズプラザ視聴覚室。 (監督の日誌から)
朝から大雨で!
キャリアカーにDVCAMテープとプログラム、仕事の分担を書いた荷物を積んで会場までいくつもりだったが、雨で濡れるために急きょ、長男に車を出してもらう。
交通渋滞のため、受付や案内を手伝っていただくシネマジャーナルの仲間、お世話になってるシネ・ブレーンの社員の若者たちとの待ち合わせに間に合いそうもない。
急きょ、次男と私は最寄の駅で降り、電車で会場へ駆けつける。

すごい…6時前にもう人が集まり始めている。会場設営の間を通って、お客様が席に坐り始めた。
懐かしい友人の顔、お世話になった映画関係の方々。
ああ、こうなると、人に指示を出すどころか頭が真っ白になって何をしてるのかわからなくなる。
記帳のため入口が詰まり始めた。
名前だけでいいですよーーー、とにかく中へおはいりくださいーーーい。
会場は定員160名、折りたたみイスを10脚くらい出したので170名~180名はいらしたと思う。

司会を引き受けてくださった佐藤さんがマイクをもって、喋り始める。
先ずはじめに監督とスタッフの挨拶…。
長年映画雑誌を作っているので、東京国際映画祭で監督の舞台挨拶を見ている。
それを思い出しながら、スタッフ紹介などしたようだが、あまり覚えていない。

上映が終ると、拍手がわいた。
そして、会場のみなさんにマイクを向け、お名前を呼んで、感想を聞いた。
企画、製作、脚本、撮影、監督、編集を全部自分でやった作品は、はじめてだったので、どのようなご感想がでるか前の日は眠れなかった。
が、好意的な感想でほっとした。
※知り合いということを差引いてもほめられることはとても嬉しい。

ニューヨークで一人で映画を作るという事は、移動も撮影交渉も撮影のときもほとんど一人。
チェルシー、コロンビア大近くの114丁目、ニュージャージ、ブルックリン、42丁目、34丁目…と撮影場所はいろいろ。
宿は女性ばかりのドミトリー6人部屋。
移動はキャリアカーに機材をつんで地下鉄利用。
よく機材を盗まれなかったね、と驚かれた。
取材先にテープをおいてきたり、バッテリーを忘れてきたり、キャリアカーの紐をなくした。
しかし、大きなアクシデントはなかった。たまたまラッキーだったと思う。

2007/05/04

映画に登場する女性たち

恵美さん:役者(40才代)
東京の女子大を卒業後、劇団所属。30才で劇団トレーナーの米女性のすすめでHBスタジオで演技を学ぶ為にニューヨークへ。オーディションでオフオフブロードウェー舞台を踏むまでに。出産のために休業し、現在はフリーでアートビデオに出演したり、ナレーションの仕事をしながら、週に一度、ブロンクスの公立小学校で日本文化の講師を行なっている。グリーンカード所持。日本人サラリーマンの夫と娘とチェルシーで暮す。

その子さん:舞台の演出、振り付け(30才代)
日本で演劇活動をしたあと、30才すぎでロスへわたり英会話学校へ通いながらアン・ボガードに師事し、演出の勉強を続ける。1994年、コロンビア大学大学院(舞台芸術)に合格、ニューヨークへ。アメリカ大学演劇祭のベスト演出家に選ばれワシントンDCケネディセンターに招待を受ける。卒業後はリンカーンセンター、ラ・ママ劇場、P.S.122などで作品を発表、自ら立上げたローズプロジェクトが、ミュージックシアター劇団のプロデューサーの目にとまり、来年オフブロードウェー公演予定。現在最もNYで注目される日本人女性舞台演出家である。1歳半になる息子ひとり、サラリーマンの米人夫とアッパーウエストサイドで暮す。

奈津美さん:日系企業のOL(30才代)
大学卒業後、日本企業でのOLを経て30才でニューヨークのビジネス学校へ。卒業後、数ヶ月アメリカで就職できる得点を活かし、ミッドタウンの日系大手企業に就職。そのまま現地採用社員となる。マンハッタンの夜景が美しいニュージャージーの低所得者用高層アパートで一人暮らし。アフター5でこつこつと共同執筆していた本がアメリカで出版され、全米プロモツアーを経験する。

典子さん:ステンドグラスアーティスト(60才代)
大学卒業後、中学の絵の教師をしながら彫刻で日展毎回入選。創作の場を求めてニューヨークへ。夫はニューヨークを本拠に活動する版画アーティスト作山しゅん治氏。夫婦でアルバイトしながらアートを続け、現在はブルックリン,の伝統的エリアに自宅と作業場を有し創作に励む。大理石中心の石の彫刻家として認められるものの、腰をいためてステンドグラスに転向。毎年日本での夫婦個展を開催。ニューヨークに来て35年が過ぎた。
写真はご夫婦でハドソン渓谷にあるStorm King Art Centerを訪ねた時のもの。Cityから車で1時間半、自然の中に巨大な彫刻が点在する。冬は雪のため閉鎖、夏の3ケ月だけ公開している。

2007/04/30

「ニューヨークで暮らしています 彼女たちがここにいる理由(わけ)」公式ブログ

2006年1月に完成した「ニューヨークで暮らしています 彼女たちがここにいる理由」(2006/72min.)のブログです。企画・製作・脚本・監督・撮影・編集は泉悦子。ニューヨークで暮す30歳代から60歳代の4人の日本人女性の2001年から2005年を追った72分のドキュメント映画です。

2006年1月14日、東京ウィメンズプラサでの完成試写会をかわきりに、横浜、名古屋、大阪など現在も上映会が続いています。1年間を振り返ると、さまざまな反響がありました。ここでは、公式記録として、作品記録、上映会報告、作品へ寄せられたお客様の感想を公開し、次のステップにしたいと思います


製作にあたっては、ニューヨーク・ラブズ・ユーhttp://www.nylovesyou.com/さんの生きた情報が大変役に立ちました。感謝いたします(cinemajournal staff)