2008/11/26

11/21世田谷区ブライトホールで上映会

夕方6時から上映会が開かれた。6月の群馬県渋川市以来である。
上映後にお話することになっているので、夕方4時過ぎに家を出る。
世田谷区役所は東急世田谷線の松陰神社駅下車徒歩8分のところにある。
世田谷線に初めて乗ったが、車両がコンパクトで、民家すれすれに走る感じは都電のよう。
松陰神社で下車。電車なのにバスのように車内で精算。それでホームに改札口がない。
電車を降りて、ホームを歩き、そのまま外の道路につながっている。
慣れないためか、妙な感じだった。

世田谷区は広い。区役所のあるエリアもゆったりしている。
陽はすっかり落ちていた。暗い中、やっと目当ての建物の入り口にたどり着く。
ドアにカギがかかっているので、携帯電話で担当者の方に到着を知らせる。

「仲間内の上映会ですから、普通で…」それで、カジュアルな服で行きましたら、なんと立派なホール半分ほどに職員有志の方々が座っており、皆様スーツ、背広姿。焦りました、ほんとうに。

久しぶりに本作品をじっくり鑑賞。仕上げのころの孤軍奮闘を思い出し、懐かしくなる。
4人の女性たちの個性がでていて、「結構、面白いじゃない」、「うまくつないでるじゃない」などと自画自賛。
上映後に「この映画が出きるまで」のことをお話した。

ご感想は女性たちの強い意志力に感心した、頑張ろうという力をもらった、映画に出てくる女性たちと職種がちがうのでいろいろな女性たちの生き方をしることができてよかった、などでした。

こうして、観たいと思う方々とともに上映会をすることができ、この作品も本望だとおもいます。
上映会にいらしてくださった皆様、チラシづくりから、いろいろ上映会のために活動してくださったスタッフの皆様ありがとうございました。

2008/07/06

6/28渋川市上映会報告

朝のフルトン通り
渋川市の上映会担当者の方よりメールで報告をいただきました。
30名もいらっしゃったそうです。鑑賞された方の感想の抜粋です

〇今を生きてる女性の姿に触れた思い
〇私も何かに取り組みたくなりました
〇その後の個々の成長を楽しみに次回も観たいです
〇海外で生活することの厳しさ、素晴らしさを感じました
〇女性がたくましく生きていて、自分も楽しみながら夢を実現したいし、それを手助けする家族や行政の必要性も感じた
〇ニューヨークで働く女性が輝いてみえた。自分ももっと自信をもって働きたいとおもった
〇ニューヨークへ出て行ったパワーはすごい。思いを現実にすることは大変。女性として「男はずるい」という気持、とっても理解できます。またニューヨークへ出て行く人ですらそう思うのですから、日本にいる私たちが思うのは当然かな…10年後、20年後を見てみたい気がします。
〇それぞれ自由を求めてがんばって生きる姿はすばらしいと思うし、頑張って欲しい。作山典子さんの魅力、楽しみです。

渋川市役所の皆様、ありがとうございました。                ハドソン通り
この作品、どこにいても、自分の可能性を求め続ける事の大切さを伝えたかったのですが、取材に応じてくださった皆様はまさしくそのような方々。4人のその後を少しご報告します。

典子さんは、ご主人とブルックリンの作業場で今日もステンドグラス創作に励んでおられます。
また年に何度も日本ーNYを往復されて介護されていたお母様は93歳で今年、天に召されました。最後まで、日本ーNYを往復し、手を抜かず介護され見送られた姿には本当に頭の下がる思いです。

その子さんは、自作のミュージカルプロジェクトを進めながら、このブログにも書きしましたが日米の演劇活動の橋渡しとして尽力されています。今年は別役実さん作品をNYで演出、3月にはレントを生んだグループ代表でブロードウエーヒット作の作家をコーディネイトして日本でワークショップをしました。日本には数日しかおらず、ちょうど私は彼女が帰る日に沖縄から戻りましたのですれ違い。残念でした。

恵美さんはブロンクスの公立小学校で日本文化の教師をされ、着物の着付けからお習字(二つとも免許をもっておられます)、朗読など女優として蓄えてきた才能をフルに発揮して日本文化普及に努めています。小学生の娘さんもきれいに成長し、迷っていた教育ですがアメリカで受けさせることに決めたようです。

最後に本を出版し全米ツアーにでたナツミさん、ニューヨークを去り、出版社のある西海岸に引っ越すところで終わりましたが、あちらで終生の伴侶を見つけ結婚、今は新婚1年目です。大好きなハズバンドと猫と暮らしながら、米人ばかりの会社で働いています。次はどんな本を書かれるのか楽しみです。

また今度はどこで上映されるでしょうか。ときどきテス企画のホームページ をのぞいて下さいね。

2008/05/16

2008/6/28(土)群馬県渋川市で上映会

新作「心理学者 原口鶴子の青春~100年前のコロンビア大留学生が伝えたかったこと~」の上映で大忙しの今日このごろ「ニューヨークで暮らしています 彼女たちがここにいる理由」の上映会が群馬県渋川市で行われることになりました!
こんな嬉しいことはありません。

2008年6月28日(土)
14:30~
主催 渋川市
場所 渋川市金島ふれあいセンター
入場料 無料
問合せ先 渋川市市民部市民生活課 0279-22-2463
http://www.city.shibukawa.gunma.jp/osirase/yotei.html

なんといっても、最初の自主製作。
思い出深い愛すべき作品です。
2001年、NY9.11のクリスマスに、NYの友達がどうしているのか、無事なのか…と、思ったことから、ひとりで製作を決意、ビデオカメラをもってNYの友達を訪ねはじめたことから製作がはじまりました。

三脚の長さが長すぎて、成田空港のセキュリティにとめられ、目の前で乗るべき飛行機が飛んでいってしまった!なんて笑えないアクシデントもありました。
本当にニューヨークへの思いがいっぱい詰まった作品です。
この作品を作ったことが力となって、新作が誕生しました。

出演してくださった30代から60代のNYで暮らす日本女性たちのその後は大きく変化しています。
いまも、ニューヨークへ行った時はお会いして、この作品製作での様々な思い出話に花を咲かせています。
群馬県渋川市のIさん、いつも私の作品に興味をもってくださって、ありがとう!
上映会のご成功をお祈りしております。

そして、今年は絶対にニューヨークへ行くぞ!

2008/03/30

日米の架け橋に

本作品で、演劇の演出をしながら子育て、キャリアアップのために奮闘する様子を取材させてくださった河原その子さんが仕事で一時東京にきました。
彼女は日本で大学卒業後、劇団活動。
その後30歳すぎて新天地をもとめ渡米。
ロスで英語を学んだ後、難関を突破してコロンビア大学大学院舞台演出へ入学、
優秀な成績、数々の演出の賞、奨学金を受けて卒業。
現在オフブロードウェー中心に演劇活動で孤軍奮闘しています。

このその子さんがコーディネイトした「ニューヨーク・シアター・ワークショップとアーティストの試み」というイベントが2008年3月28日、29日、東京で行われました。
講師はあの「レント」を生み出したニューヨーク・シアター・ワークショップ(NYTW)の方々。

副芸術監督のリンダ・チャップマンさん。彼女が脚本、主演した「ガートルードとアリス」はオビー賞を受賞、また本年2月から彼女の共同脚本「ビーボ・ブリンカー」がオフブロードウエーで公開されています。

もう一人は2003年「アイ・アム・マイ・オウン・ライフ」でピューリッツア賞、トニー賞、ドラマ・デスク賞などアメリカの演劇界の賞をそうなめにした劇作家のダグ・ライト。
彼は映画「クイルズ」「SAYURI」、ミュージカルでは「グレイ・ガーデンズ」「リトル・マーメイド」などの作品も書いております。

このニューヨーク演劇の最先端をいく方々を連れてきたのがその子さん。その子さんはまだ演劇だけでは食べていけないので、演出、振り付けのかたわら日系新聞にブロードウェー演劇紹介を書いていますがその文も演劇界で活動していなければわからない最新ニュース満載で、人気を集めています。

私は取材旅行のため参加できませんでしたが、その子さんが少しずつ日米の演劇界でその実力を発揮してきたことにとても歓びを感じています!
彼女の舞台を日本の演劇ファンに見せたい、この実現に私も微力ながら応援していきたいと思っています。

また嬉しいことに私の新作が、地道な上映活動の努力が実り劇場公開が決まりました。
雑誌、新聞などで取り上げられたおかげで、その関連として「ニューヨークで暮らしています 彼女たちがここにいる理由」にも再び注目が集まるようになりました。
ボツボツですがDVDの注文もいただいています。
ボランティアで本作品に出演してくださり、私の向こう見ずな取材撮影を心配していろいろお世話くさった出演者の皆様です。
そのお礼として、彼女たちの活躍を全力でお知らせしたいと思います。

2008/02/23

2008年もよろしくお願いいたします

昨年8月以来の更新です。
もう皆様に忘れられてしまったでしょうか。
新作の上映会や劇場公開の準備で奔走…、NYがどんどん遠のいていきました。
でも今年の6月か10月にはぜったい行きますよ!
絶対に行きますよ、行きますよ、行きますよ。
なぜかって、アメリカン・ダンスアイドル・シーズン3のDanny Tidwell、
彼のパフォーマンスが見たいのです!
誰か情報をお持ちの方、いらっしゃいますか。
Dannyのホームページを読んでますが、あまり英語が堪能でないので。

この映画に出演してくださった舞台演出と振り付けのその子さん、
2月にマンハッタンで別役実の舞台を演出公演します。
詳しくは彼女のホームページをご覧ください。

2007/08/24

ニューヨークって、何だろう(1)

次回作の資料集めや、関係者への手紙などかいていると、無性にニューヨークへ行きたくなってくる。自分の中の「いきたいよ、ニューヨーク」病のパターンだ。
思いかえせば、昨年の11月、撮影へ行ったのが直近の思い出。
黄色に輝くセントラルパークのイチョウの大木!キレイでした。

もとはといえば、どうせニューヨークへ行くなら、仕事を兼ねて行きたい、行った事を形で残したいという気持から映画まで作ってしまった。
そう、一時は住むことも考えたけど、なにしろ、PRビデオのディレクターと言う不安定な仕事で、3人の子どもとペット(犬と猫)を育てているから、全員でニューヨーク移住は不可能、第一、行って向うで高年齢の女性に仕事があるだろうか。物価高のNYでどんな所に住めるだろうか?
まだ、30代、40代だったら、何とかなる!と行ったかもしれませんか、やはり体力が…

で、夏休みはニューヨークの写真集(これはブロードウエーをバッテリーパークからアップタウン、ハーレムまで辿ったモノクロ写真集)をひらき、楽しんでいる。
次に行ったときは、自分も歩いてみよう。

ニューヨークというと色々見所はあるが、私が好きなのはどちらかというとダウンタウン。
ハドソン川沿いから数本中にはいったハドソン通り、 ブルックリン橋の橋げたを少し歩いた所からワールドトレードセンター駅に通じるフルトン通り。 ここは昔のよきNYの商店街が残っている感じがして好きだ。

それから、ワシントンスクエア周辺の混み入った路地。
クリストファー通りやミネッタ通りも趣がある。
なんのことはない、自分が最初に訪ねた頃、迷ってぐるぐるその界隈を歩き回った思い出があるから。

ミッドタウンだと、マレーヒル。マレーヒルはいったいどこあるのか、ぐるぐる歩いたが、エンパイアステートビルに出てしまった。いまでもどこにあるのか謎だ。
42丁目をイーストリバーに向かうと坂道にでる。チューダーシティに通じる坂で、両脇はアパートになっている。ブラウンストーンに階段、ああ、こういうアパートで暮らせたら…、どんどん妄想が広がる。 そして、ついどんな人が住んでいるのか覗きたくなる(オイ、オイ)。
ニューヨークにしては静かな一角で、坂を登りきるとフォード財団の裏庭にでる。
ちょっと行くと、眼下に国連ビルがみえる。
クリスマスに行ったときは、フォード財団のプライベートガーデンのフェンス全体が赤いリボンで飾られていてとても可愛かったな。

映画は大好きなので趣味と実益をかねてNYが舞台のものはほとんど見ている。
一番、NYのよさを知ってるな、と思った映画はウディ・アレンの「マンハッタン」
オープニング数分のモノクロ映像は、もうこれしかない、というNYのランドマークを短く、効果的につないでいる。本当に美しいよーー。
2002年のアカデミー賞受賞式では、これまでに出席した事がないウディ・アレンが登場し、NYを舞台にした映画のシーンを数分にまとめて披露したが、もちろん、このシーンが頭と終わりにでてきた。
なかでもキーポイントはブルックリンの橋で、7月4日の花火や、主人公の二人がブルックリン側から夜の摩天楼を眺めるシーンは素晴らしいの一言です。

2007/08/08

彼女たちの作品

しばらくブログを休みました、すみません。ドキュメンタリーの新作が完成し、その試写会他の準備で大忙しでした。
新作ができても最初につくったこの作品への愛着はいつまでも消えません。









心を込めて作り上げた大切な宝物です!
いまでも出演者の皆さんと仲良くお付き合いしています。
彼女たちのニューヨークでの活躍は益々広がり、
創作への情熱は益々さえわたっています。作品を紹介します。
ステンドグラスアーティスト、作山典子さんの作品です。色、厚さ、光沢の違うさまざまなガラスから、作品にあった素材を選び組み合わせる…石の彫刻出身の彼女しか作れないフォルムの美しさは彼女の作品の特長です。
ニューヨークを中心に活躍する河原その子さんの舞台は幻想的。
様々な国の役者さんたちを自在に演出して、誰にもできない東洋と西洋を融合した不思議な世界を作り出しています。 もちろん英語でです。 1日もはやく、日本で、彼女の素晴らしい舞台を紹介したい。
これは私のささやかな願いです。
いま、マンハッタンの幼稚園に通う3歳になる一人息子の、日本の幼稚園体験入学のために、東京の実家にもどっています。
かわいい息子さんの幼稚園送り迎えのあと、ニューヨークの作品のDVDをもって、演劇関係の人たちとアポイントメントを取って面会に行く。
コネも、バックもなく実力でオフブロードウエィ演出までたどり着いた彼女のバイタリティを心から応援します!
河原その子さんの舞台に興味のある方は、ぜひブログに書いたホームページをのぞいてみてください。

2007/07/03

クリスマスとカウントダウンin New York

(監督の日誌から)  
5番街のサックス・フィフス・アベニューの雪の結晶     

ニューヨークのクリスマスやカウントダウンはどんなのだろう?
テレビのニュースで毎年ロックフェラーの点灯式を見てるし、NYのクリスマスがでてくる映画もたくさんみた。が、本物を見てみたい。
1998年に初めて訪れたときは夏のまっさかりだった。
クリスマスを撮影したのはその3年後の2001年、あの同時多発テロの年だった。
NYへの旅行者が激減し、渡航費、宿代が驚くほど安いと聞いて、行くことにした。VX1000というソニーのビデオカメラ、DVテープ、友達の電話番号のメモを持って出発。JFKに到着したのが確か午後2時過ぎ。マンハッタンの宿についたのが7時ごろだっただろうか

宿が49丁目だったのでロックフェラーはすぐそこ。 空港からのバスで知り合った日本人OLとロックフェラーへツリーを見に行く約束をしたので、宿に荷物をおき、すぐ外へでた。消防車やパトカーのサイレンの音、鈴だの、訳のわからない英語、ざわざわ人ばっかりの中へ、時差ぼけでハイの気分で飛び込んだ。
実はこの到着の日、フラフラする体にムチうって、ハイの気持で町を歩くのが結構気にいっている。

日本に帰ると、一日目をとてもよく覚えているのだ。しかも、夢の中の出来事のように。 この年はすごい数の星条旗がたなびいていた。
陸軍の兵隊さん(?)も立っていた。
お土産屋さんで、「日本人はどこへ消えたのか」と聞かれた。確かに少ない。NBCのスタジオツアーに参加したが、日本人は私一人。一番遠くから来たとのことで皆で拍手してくれた。

ロックフェラーセンター前のクリスマス電飾
この時ははあまり撮影をしなかった。久しぶりのNY。地図がないと道を歩けないし、出ていただく皆さんとお会いしたり、場所を下見(ロケハン)したり…撮影前の段取りですぐ滞在期間がすぎてしまった。
マレーヒルを探して、フォード財団の坂を登り、国連本部を見下ろして、そこから探しながらエンパイアビルまで歩いたのもこのとき。いまだに、見つけられない。夜は、「シカゴ」やユニオンスクエアそばの劇場を探してDe La Guardaのビーシャビーシャを見た。

ロックフェラーセンターの木々についた小さな電気が美しかった。
スラリと暗い天に延びる白いビルとよく似合っていた。
オモチャの兵隊さんもかわいい。
サンタクロースのおじいさんや、ピエロもいた。
在住の友達に聞くと、テロの心配があるし、わざわざ見には行かないとのこと。という事は、ほとんど観光客なの?
カウントダウン
カウントダウンは、3年後の2004年の撮影のときにみた。
昼頃から警察官が何百人もタイムズスクエア近辺に集結し、打ち合わせが 始まる。
騎馬もいる。
イベントが演じられるタイムズスクエアの中心では、マシンガンをもった警官が警備していたそうだ。
同じ宿の若い人たちは昼過ぎから水分をとらないで、中心部に席を確保、カウントダウンまでいたと聞いて驚いた。(老婆心)
私がいた51丁目はのんびりしたもの。警官は腰にピストルをさげていたが、観光客の記念写真に応じたり、仲間とおしゃべりしたり。
午前0時が近づくにつれて、道路沿いのカフェが開き、タキシードやドレス姿のお客さんたちが踊りながらでてくる。警官たちも誘われるままダンスの輪に加わり、踊って抱き合って… 制服姿に弱いワタクシ、カメラを回すのを忘れてじっとみとれてしまいましたよ。
がっしりとした警察の方々は、ライアン・フィリップやジュード・ロウみたいなハンサムから、伊集院光みたいな太めの人までさまざま。共通点はみな若い! デンゼル・ワシントン似のお兄さんはもう管理職か。
カウントダウンが始まると、大きな欧米人がタイムズスクエアの掲示板をみようと動き出した。小柄なワタクシは、カメラを掲げて必死に撮影したが、とうとう踏み潰されそうに。撮影したテープをみたら、人の胸、背中、地面しかうつっていなかった!
(写真は2001年と2004年のクリスマス  2001年にはサックス・フィフス・アベニューの壁面に雪の結晶はなく、2004年に再訪した時、幻想的な美しさにびっくりした)

2007/06/22

彼女たちが暮すのはNYのどこ?

(監督の日誌から)
もともとどうしてNYで映画を作ろうと思ったか、それは…
50歳で企業の映画基金をいただいて2ケ月、NYUのテッシュ、日本で言う映画学科に短期入学したのがきっかけ。
NYUの校舎はダウンタウンのイーストビレッジとグリニッジビレッジの境。 そばにワシントンスクエアがあり、校舎の前はブロードウエー、 向かいにマクドナルド(注文しやすのでわりと利用、でもコーヒーの発音がなかなか伝わらなくて…) 、斜向かいに大きなタワーレコードがあったっけ(倒産?)。
2ケ月暮らしたのはアスタープレイスという地下鉄駅から徒歩3分ぐらいのところにあるNYUの学生寮。路上の植え込みを隔てた向かい側にセントマークスブックストア。
退屈な夜にお店にはいっては時間をつぶした。そばの ビル2階には日本食のサンライズ。「ばかうけ」や「亀田の柿の種」を買って、寮でばりばり…なんだかお煎餅がやたらと食べたかったんです。
授業は最初の一週間が座学で、残りはほとんどマンハッタンを移動して16mm映画を撮影。6,7,8月のNYの暑さはすごいですよ。 汗で地図がすぐにボロボロになった。
それにしても、生まれて初めてのアメリカ、しかもNYだ。到着した翌日から学生証につける写真を写したり、手続きのため大学とPC/コピーが使えるキンコーズの往復。 おまけにフィルム代がかかるので、なるべく食事は自炊しよう、と思い、近くのスーパーKmartへ毎日通う。なんだ、買い物袋さげちゃって、東京の生活と同じじゃない。しかも、一人暮らしをすっかり忘れて、大量の塩(それもすごくまずーい)や10k米袋くらいの袋詰めアイダホのジャガイモを買っちゃつたり!(帰国までに食べないと荷物になるからと毎日ジャがバター生活) そんな些細なことどうでもいいの。とにかく、このとき映画に出演してくださったのが、子どもを生んだばかりの恵美さんだった。
チェルシー
彼女の住いはチェルシー。15年前、演劇学校の名門HBスタジオに入るためにやって来てからずーとチェルシーに住み続ける。
治安はいいし、庶民的で、演劇関係の人が多いのが特徴。 花屋さんのベンチにゲイカップルが坐っていたり、なんか、学生街と違いのんびりしている。水戸の静かな町で育った彼女がよく、まあ、この騒々しいNYで、と思ったが、チェルシーは歴史的エリアもそばにあり、静かでとてもいい場所。人々も優しい。一人娘もいまや小学2年生になった。
アムステルダム通り
恵美さんの芝居仲間その子さんは、同時多発テロの翌年、一人息子を出産。マンハッタンで演劇と子育てはキツイだろうな…と思いつつ、どういうお母さんになっていくのか、興味がわいた。
彼女は、コロンビア大学近く、アムステルダム通りのアパートで、米人のサラリーマンの夫と暮らす。アップタウン…ダウンタウンしか知らなかったので、最初にアパートを訪ねたとき、壮麗なコロンビア大学をみて別の国へきたみたいだった。その翌年から、今度はコロンビア大学を中心に映画を作るなんて、想像もしなかった。いま思い返すと、その時みた尖塔は、リバーサイドチャーチとコロンビア大学ユニオン神学校のもの。同じ大学でもNYUとも全く雰囲気が違う。その子さんは、新しいプロジェクトの立上げ、仲間との劇団運営、頼まれるままに舞台の演出を引き受け、生活のために日系新聞でアルバイトもしている。
さらに、保育所は高額でベビージッターも高いので、どこへ行くにも子供づれ。夜の10時、子どもが寝た後だけが、大切な自分自身の時間だという。
ニュージャージー Pavonia Newport
「夕方いらして下さると、夕陽がきれいですよ」奈津美さんとはインターネットで知り合った。留学から戻ると、私はすっかりNYの虜となって、仕事、家事が手につかない。なんとか、NYで暮す方法はないものか!と毎日パソコンでNY情報を集めていた時、彼女と出あった。一年後、NYのウクライナ料理店で初めてお会いし、すっかり意気投合して出演をお願いした。奈津美さんは、念願の家賃の安い、NJにある低所得者用アパートへ入ったばかり。独身OLにとって、マンハッタンの家賃は高すぎる。部屋をシェアすると今度はプライバシーがない。NY生活でもっとも大変な事の一つはアパート探しだという。
撮影は昼になった。なにしろ、初NJである。パストレインにのるのも初めて。改修されたばかりのワールドトレードセンター駅からホーボーケン行きに乗車して、先ず眼にしたのがテロで崩壊したコンクリートと鉄骨。その脇をそろそろと地下鉄が進む。ニューポートの駅前には花壇や植え込みがあり、クリスマスには美しいツリーが、夏は開放的な青葉が風にそよぐ。彼女に連れられてハドソン川へ向うと、見えてきました!うーーん、絵のようなマンハッタン!。「あそこにワールドトレードセンターがあったんですよ、1日にして姿を消すなんて、信じられません」
ブルックリン Grand Army Plaza
駅をおりると、まず彫刻で飾られた立派な門に驚く。そのそばには広大なプロスペクト公園。公園には日本庭園やエジプト芸術で名高いブルックリン美術館がある。公園から放射状に広がる通りの一つ、President Streetに典子さんの自宅がある。古きよきNYの町並みをそのまま残すこのエリア。階段のついた3階から5階ほどのブラウンストーン住宅が続く眺めは壮観だ。ほぼ毎月、数ブロックを閉鎖して映画の撮影が行なわれているという。
アートの本場NYで35年間もこつこつと創作を続け、素敵な町にご自宅まで持つご夫婦ってどんな方たちであろう。ちょっとドキドキしながらお訪ねすると、出ていらしたのは知的で生活を大切にする楽しいご夫婦だった。率直に、時にはユーモアを交えてNYで作品が売れるまでの修行生活、毎日の創作生活を話してくださった。困難を乗り越え、強い絆で結ばれたご夫婦がいるのも、またNYの魅力である。












2007/06/03

完成披露試写会の日

2006年1月14日(土)。午後6時開場、6時30分開映 東京ウィメンズプラザ視聴覚室。 (監督の日誌から)
朝から大雨で!
キャリアカーにDVCAMテープとプログラム、仕事の分担を書いた荷物を積んで会場までいくつもりだったが、雨で濡れるために急きょ、長男に車を出してもらう。
交通渋滞のため、受付や案内を手伝っていただくシネマジャーナルの仲間、お世話になってるシネ・ブレーンの社員の若者たちとの待ち合わせに間に合いそうもない。
急きょ、次男と私は最寄の駅で降り、電車で会場へ駆けつける。

すごい…6時前にもう人が集まり始めている。会場設営の間を通って、お客様が席に坐り始めた。
懐かしい友人の顔、お世話になった映画関係の方々。
ああ、こうなると、人に指示を出すどころか頭が真っ白になって何をしてるのかわからなくなる。
記帳のため入口が詰まり始めた。
名前だけでいいですよーーー、とにかく中へおはいりくださいーーーい。
会場は定員160名、折りたたみイスを10脚くらい出したので170名~180名はいらしたと思う。

司会を引き受けてくださった佐藤さんがマイクをもって、喋り始める。
先ずはじめに監督とスタッフの挨拶…。
長年映画雑誌を作っているので、東京国際映画祭で監督の舞台挨拶を見ている。
それを思い出しながら、スタッフ紹介などしたようだが、あまり覚えていない。

上映が終ると、拍手がわいた。
そして、会場のみなさんにマイクを向け、お名前を呼んで、感想を聞いた。
企画、製作、脚本、撮影、監督、編集を全部自分でやった作品は、はじめてだったので、どのようなご感想がでるか前の日は眠れなかった。
が、好意的な感想でほっとした。
※知り合いということを差引いてもほめられることはとても嬉しい。

ニューヨークで一人で映画を作るという事は、移動も撮影交渉も撮影のときもほとんど一人。
チェルシー、コロンビア大近くの114丁目、ニュージャージ、ブルックリン、42丁目、34丁目…と撮影場所はいろいろ。
宿は女性ばかりのドミトリー6人部屋。
移動はキャリアカーに機材をつんで地下鉄利用。
よく機材を盗まれなかったね、と驚かれた。
取材先にテープをおいてきたり、バッテリーを忘れてきたり、キャリアカーの紐をなくした。
しかし、大きなアクシデントはなかった。たまたまラッキーだったと思う。